こんにちは、菅原りょうこです。
今日は、「時にはロッキーを」
という話をしたいと思います。
ロッキーっていうのは
シルヴェスター・スタローンが主演の
ボクシングの映画ですね。
世代がわかってしまいますが
どこかでテーマソングは
聞いたことがあると思います。
前提としてお伝えしておくと
私は、基本的に、体育会系のノリが苦手です。
努力と根性って言われると
アレルギー反応が出ます。
まして、血なまぐさいボクシングや
格闘技全般は見ていられません。
中学時代に厳しい剣道部にいた時の
トラウマが原因とも言えるし
育ってきた昭和の空気がそうさせるのだと思うし
10代に経験した「がむしゃらに頑張って
何が得られるの?」
という虚無感が根底にあるからかもしれません。
伝わるでしょうか。
そんな背景があって
どうしてもロッキーのような映画って
感情移入できない部分があったんです。
そんなにストイックになれない
なりたくない、みたいな。
でも、五十を前にして気づいたことは
人生には、ロッキーのようになる時も
必要だということです。
いつも、あんなに気合を入れなくてもいい。
ただ、時に、ぐっと歯を食いしばるからこそ
「場面転換」できることってある。
それは、どんな意味かというと
弱い自分を克服するということです。
逃げてきたものに向き合う時も
必要だということです。
私は、強く見られがちですが
超が付く敏感気質で
感性が強すぎて生きにくい人間です。
小さい頃から、環境問題が気になったり
貧富の差が気になったり
戦争のことが気になったり
家族とは何か?と悩んだり
人が気にしないことが気になり
うまく生きられないでいました。
繊細すぎて、被害者意識も強くありました。
もう、こんな残酷な世界で生きるのは嫌だと
感じることが何度もありました。
そんなだから、疲れやすいタイプです。
睡眠時間を削って踏ん張れる馬力などありません。
できたら、瞑想リトリートのような場所で
ひっそり穏やかに生きていたい
そんな願望が根底にはあったりします。
こんな、豆腐メンタルベースの私ではありますが
振り返ると、人生の節目において
「負けてたまるか〜!!!」という
気合を入れた場面はありました。
それこそ、ロッキーのテーマソングのようなものが
バックグラウンドに流れている感じです。
その結果、ごっそりと被害者意識が抜けたり
できなかったことを克服できたりという
「場面転換」、世界が変わってしまった
という体験をしました。
お伝えしたいことっていうのは
必要な時には
「泥臭く」気合を入れてみよう
っていうこと。
タイミングをみて、です。
愛を込めて
りょうこ
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